2016年3月3日木曜日

お寺の住職が話していた追善供養と善行の意味が興味深かった

祖母の13回忌の追善供養に行った時のお寺の住職の話が印象的だったので、記事として
残しておこうかと。追善供養と善行の意味に関する話。

まず、追善供養というのは、亡くなってしまって善行を行うことができなくなってしまった
故人のために、代わりに善行を行って供養することらしい。

ここまで話を聞いた時点では、「私、今日全然善行を行っていないけどな~」と思っていたのだが、
面白いのはここから。和尚さんいわく、「善行とは自分以外の人のために何かをすること」
だそうな。

なるほど、と。ということは、私はその日、既に善行を行っていることになる。
なぜなら、少なくとも祖母の13回忌のために、わざわざ休日にはるばるそのお寺まで
足を運んだのは、どう考えても自分のためではないからである。

ボランティア精神皆無の私といえど、その十三回忌に行ったのは、祖母にはいろいろお世話に
なったし、かわいがってもらったし、まぁ行くか、っていう気持ちからだし、死んだ人から
見返りがあることはないので、どう考えてもその十三回忌に行ったのは、自分以外のため
なのである。別に親戚からの世間体を気にして、ということでもないし。

ということで、そのお寺の住職の話は見事だなと思いながら、普段は善行などには
興味ないけど、亡くなった人を供養する際には、その善行ってのを、自分以外の人の
ために、具体的には故人のために何かをするってのをしようかなと思ったのでした。
それが供養になるのなら。

先日親戚が亡くなって、この話を思い出したのだけど、今回で言えば、遺品としてもらった
故人が読んでいた本を読んであげるのは、追善供養になるのかなと思ったり。
だって、私の趣味とは異なる本だもの。でも、供養としてなら読んでもいいかなと思う。